平田栄一のエッセイ詩集3

1999年 ヨルダン社)

自分の生き方について、悩みながらも苦しい現実を乗り越えていこうと願う人が、新しい視点を見いだす助けとなる、短いけれど心に沁みて力となる、聖書から着想を得た言葉を詩的文体で示す。

Amazon著者からのコメント

「本書は、著者平田栄一氏の『今を生きることば』『やわらかな生き方』に次ぐ、第三番目のエピグラム集である。氏は『層雲自由律』同人として層雲新人賞をとるなど、自由律俳句の世界でも大いに活躍している俳人であり、また同時にキリスト教の信仰を持つ日本人キリスト者である。前二書にも、著者の詩人としての、そして日本人キリスト者としての研ぎ澄まされた生へのまなざしはよくあらわされているが、本書にいたって、氏のキリスト教信仰に根ざした生への凝視は、いっそうよく発揮されているといえよう。著者の生活体験からにじみでているこれらの言葉を、老若男女、信者であるないを問わず多くの方々に、是非一読していただきたいものである。」(カトリック司祭 井上洋治氏 書評より)

168頁 本体価格1600円 ISBN4-8428-0282-0

 

神のまなざしへの祈りに導く(カトリック司祭・井上洋治・評)

本書は「生きる」「神と人間」「コトバ」「祈り」「イエス・キリスト」という五部から構成されているが、その全体を貫いている基調音は、本書の題名が示しているように、人の思いをこえて私たちの生活の上に注がれている神のあたたかなまなざしであり、本書はそのまなざしへの祈りへと自然に私たちを導いてくれる力を持っているように思われる。

本書は、はっと気づかされるような言葉、じっと考えこませられる言葉、本当にその通りだと共感させられるような言葉、そういったすぐれた言葉にあふれているが、いまその二、三をここで紹介してみよう。

本書は次のような「問い」ではじまっている。

問い

なぜ人間は(ときとして悪人より善人が)

苦しまなければならないのか?

なぜ病気がなくならないのか? こうした不条理に

だれも簡単に答えることはできません。

もしこの種の問題に、あたかも理路整然とした

即答を用意している宗教や哲学があるとすれば、

それに対して、わたしたちは直感的に

警戒心を持つものです。

それはおそらく、こうした問いが

常にわたしたちの身近にありながらも、

どこか人間の分際を超えたところから、

問おうとするわたしたちが

むしろ問われている、といった

主客逆転の性格を持つものだからではないでしょうか。

 

私たち人間の頭で世の中を見渡せば、確かにこの世は不条理に満ちている。おそらく誰しもが人生で一度や二度は真剣に自らに問う問題であるに違いない。何故善人が苦しんで悪人が栄えていくのか、何故なんの罪もない無垢な幼児がこんな悲惨な死をとげなければならないのか。著者はこの問いには、二たす二は四、三たす三は六、などといった理路整然とした答えはないことを認めつつ、少しずつ私たちを、人間の本然の姿である「祈りの姿」へと導いていってくれる。

シナリオ

神様は偉大な作家です。

最高の喜びをともに分かち合う、

という結論に向かって人や自然をつくり、

それぞれに使命と役割、そして自由を与えられます。

ただし結論へ至るシナリオ(道)は

わたしたちの「思いを高く超えて」(イザヤ55:9)います。

 

ここには人生の主人公は自分ではなく神さまなのだというキリスト教信仰が、実に明白に表現されている。ここまでくれば、祈りまではあと一歩である。

 

祈り始めた人へ

祈り始めた人は、いくら祈っても

神からの応答がないことにがっかりするかもしれません。

でもほんとうに何もなかったのでしょうか?

こちらからだけの一方通行の祈りだったのでしょうか?

・・・・・・・・・・

しばらく静寂のなかで祈るうち、

そのように直接には応答してくれそうもない

神を待つ≠アとの

楽しさを知るようになっている

自分に気がつきませんか?

 

わたしの魂は沈黙して、ただ神に向かう。

神にわたしの救いはある。(詩編62:2)

 

著者の生活体験からにじみでているこれらの言葉を、老若男女、信者であるないを問わず多くの方々に、是非一読していただきたいものである。

(財団法人キリスト教文書センター「本のひろば」1999年12月号)

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